内外海半島ローカルニュース



 精霊船と、どんどこ舟

内外海半島の各集落では、民宿が忙しく、お盆の行事は日をずらして実施していますが、阿納区では10日遅れの24、25、26日がお盆となっています。

26日は、先祖様を船で送る日ですが、近くの竹林から竹を切り出し、子供会は竹とわらで作った「どんどこ舟」、大人達は精霊船を作ります。 竹を長さ五メートル位に切り、縄で縛って舟型に組み立てていきます。子供会といってもほとんどが親の仕事になるのですが、その中にわらを積み込んだのが「どんどこ舟」。塔婆やお供え物を積み込んだのが精霊船です。

今では船で引っ張っていきますが、一昔前は子供達が泳いで沖合いまで押していました。わらに火をつけ、燃え尽きないよう水をかけたりしながら、皆、一生懸命です。岬を回った犬熊海岸の一本松が目標地点で、泳ぎに自信のない下級生は、舟板を準備して帰りはそれにすがります。途中、クラゲにやられて大騒ぎすることもあります。

この日の夕方4時過ぎ、住職の読経が続く中、多くの区民に見守られながら静かに送られていきました。
( 2000年8月26日 )





 二条院讃岐と沖の石

「わが袖は 潮千に見えぬ沖の石の 人こそ知らね乾く間もなし」 百人一首、千載和歌集で知られるこの和歌は源三位頼政の娘、讃岐が若狭の海を見て切なげに謳った恋歌です。

阿納尻地係から三方町まで尾根伝いに続く広域基幹林道の志積と矢代の中間点あたりに広い公園が整備されていますが、そこの休憩所からは沖の石と入り江、それに続く若狭湾が一望できます。

平安末期の武将源頼政は矢代、田烏、山を越えた宮川、松永地区を統治していたといわれ、宮川地区の大谷には屋敷跡も確認されています。頼政の「鵺退治」は平家物語や謡曲で紹介されていますが、その鵺を退治した矢竹は矢代の産であったと伝えられ、福寿寺観音堂には伝説の絵馬が奉納されています。

その頼政の娘、二条院讃岐は、この静かな山里で都にいる恋人を慕って歌ったようで、沖の石が見渡せる頂上付近には、梨の大木と石垣を擁した「御所太良」という居住跡が残っています。

また、釣姫地区には宇治で自害した頼政の後を追い入水を図ったといわれる往生礁、乳母礁があり、その手前の明神岬には釣姫明神が祀られています。

( 2001年7月24日 )





 若狭の「力石」

「この石は古来、当区の若者達が力試しをした時使った石です。持ち上げたり、肩に担いで歩き、常に体力作りに励んだ昔を偲ぶ代表的な区の遺産である。」
旧矢代小学校近くの道沿いに整備保存されている「力石」の説明書です。

内外海半島の11の集落に現存している「力石」は、全部で19個ありますが、氏神さんの境内や、お堂の片隅に放置された存在となっています。
矢代区の西村岩雄さん(80)は、今では忘れられたこの庶民文化を後世に伝えようと、村人達の手を借り整備しました。

蘇洞門の海底に沈んでいる石を網で引き揚げたらしく、荒波にもまれてきれいな球状になっています。重さは80キロから120キロまでさまざまで、とても素手で持ち上げられるとは考えられないのですが、昔の若者は肩まで持ち上げ、力比べをしたそうで、中には担いで歩き回った人もいたようです。

地区内きっての力持ちを自負する佐藤利一君(32)がこの「力石」に挑戦。
やはり素手では難しく、30センチ程のロープを使って両腕で挟むようにして見事胸の高さまで持ち上げました。
価値観の変化から次第に忘れ去られた「力石」ですが、庶民の遊びとしての文化が語り継がれている貴重な文化財です。

( 2001年8月26日 )





 浜開きで安全祈願

内外海半島には届出をして開設している海水浴場が6ケ所ありますが、いずれもコンパクトでプライベートビーチのように感じていただき、特に家族連れに人気で磯遊びや砂遊びに興じています。

7月に入って次々と浜開きが執り行われ、1日は矢代、2日には志積、犬熊、阿納。3日は田烏で最後5日には西小川と神主さんも連日大忙し、玉の汗を流して祝詞を読み上げ、にわか雨も苦にせずホッと涼しげです。

一昔前は冬の時化で浜一杯の大波が砂を洗い、きれいなさらさらの砂が手に持てば陽光にきらめき、指の隙間から砂時計のようにこぼれます。しかし近年は道路の拡幅や護岸工事等で打ち寄せる波の様子も一変。打ち返しの波を防ぐのにブロックを入れ、浜が侵食されるとブロックを入れで、波を消してしまいました。

波が洗わなくなった浜は泥系の砂になってしまい、草が生い茂っているところもあります。自然に逆らった報いが、結果的に自然の恩恵を受ける事もなくしてしまった感じで痛し痒しです。浜は8月のお盆過ぎまでにぎわいます。

( 2002年7月4日 )





 よみがえった「御清水(おしょうず)」

泊区の若狭彦姫神社のそばに15年程前から水が湧き出なくなった「御清水」が区民有志の手によって復活。周囲を色とりどりの花のプランターで飾ったり日陰にベンチを設置して「憩いの場」がよみがえりました。

久須夜ケ岳に連なる泊岳山麓の水が伏流し湧き出ていたもので、正月には若水を汲み、夏にはお茶やスイカを冷やし、貴重な生活用水として大切に使用し守ってきたのですが、道路舗装や集落排水工事などの影響で水量が激減。藻がはえるなど生活用水として利用できなくなりました。

修復作業は有志9人が取り組み、コンクリートで覆ったところを削岩機で壊したり、水底にたまっていた粘土質の泥をさらい出すと、砂を噴き上げるように湧き出る水脈を発見。敷石を固定し、海岸の自然石を敷き詰め「泉」を美しく仕上げました。三層に分かれている「泉」の一層目は飲み水に、二層目で野菜などを洗い、三層目では足を浸したりお茶やスイカを冷やします。住民が集い話しと笑顔の花が咲き、「憩いの場」の復活は村に活気をもたらします。

漁師達が漁場や方位を確かめる「山あて」の山で、昔から「小山さん」と親しまれていた小山の近くに、漁師こそ知る「かくし水」があって、大きな岩の下からこんこんと真水が湧いています。又、蘇洞門には年中水量が変わらないといわれる「白糸の滝」があり、上流ではわさびが栽培されていました。「お水送り」の若狭小浜。水の話題は尽きません。

( 2002年8月3日 )





 大漁旗で「豊漁小浜音頭」

「若狭マリンピア2002」のメインイベントの花火大会が8月1日開催され、露天商が軒を連ねる白鳥海岸道路は500メートルにわたりドッと繰り出した人の帯が出来、老若男女が夏祭りをエンジョイしていました。

ステージが設けられた翼のテラスで繰り広げられるヒップホップダンスやYOSAKOIに市民の関心も高く、花火が終わった後でも大勢の観客が総立ちで帰ろうとしません。ステージと一体になってテンポのよいリズムに合わせ声援を送っていました。

泊区の鶴田一成君率いる「湧昇会」は、2年前に施設の夏祭りで8人で公演したのがきっかけで、大変な反響に会の結成を決意。現在会員は高校生から50才代までの50名にも膨れてきました。「YOSAKOI」で地域を盛り上げたいと、市民が親しんでいる「小浜音頭」と伝統の「放生祭り」を組み合わせた「豊漁小浜音頭」を編曲し、この日、大舞台での披露となりました。

その3日後に泊区の納涼祭。漁港の完成を祝っての開催になるのですが「里帰り公演」になりました。この日の為に婦人会と子供達をにわか指導。それでも衣装を着せればなかなかのもので、テンポについて来れない方も愛嬌です。ステージの後方で大漁旗を振る元気のいい漁師のおじさんは一成君のお父さん。息子の活躍に身体を張っての声援です。絆の深い親子像を垣間見ました。

( 2002年8月4日 )





 大盛況の「軽トラ市」

定置網で獲れた小魚や朝採り野菜、工芸品等を軽トラの荷台に積んだまま数台並べた朝市を7月21日から毎週日曜日に開催。近くの主婦や通りかかった観光客の人気を集めています。

目玉になる定置の魚も夏は品薄ですが、獲れるときは皆一緒で市場へ持って行っても箱代にもなりません。桟橋で親戚の人に取りにきてもらったり、せっかくの漁を海に捨てる事もあります。野菜も出荷規制があり傷物は出せず、隣近所に配っています。朝市ではそういったものが格安で提供でき、何よりも新鮮さが魅力で、毎週にぎわっています。

「軽トラ市」にリヤカーがやってきました。80歳になる近くのおばあちゃんが「家族だけでは食べきれんので売らしてもらってええやろか?」一番期待をしていた売り子?さんで思わず小躍りをしました。他にも花を作っている70歳のおばあちゃんが、こちらは元気に自ら軽トラを運転しての出店です。

なんと言ってもコミュニケーションが図れますし、売れる事によって農作業にも精が出てきます。元気印のおばあちゃんにどんどん出て頂き、この「軽トラ市」が定着すると、さらに広がりを見せて地域起こしが一歩一歩実現していきます。
皆さんもおばあちゃん達との掛け合いを楽しみに「軽トラ市」を訪ねてみて下さい。

( 2002年8月11日 )





 愛宕参りと「松上げ」

8月23日は地蔵盆。若狭地方では特に西津地区を中心に子供達の手で伝統が引き継がれています。その地蔵盆が山間の地区では火の祭りに変わるようで、口名田地区から名田庄にかけての南川河川敷では「松上げ」が執り行われ、暗闇の中を飛び交う炎に歓声をあげていました。

口田縄区のお寺の裏山には敵陣の攻撃を監視する山城があったそうで、障子掘りの遺構と城郭跡には城主大塩長門守と愛宕社を祀った祠が建立されています。村の若い衆20人程が提灯を手に浴衣に下駄のいでたちで集まってきました。険しい山道を酔った勢いで、伊勢音頭を謡いながらの「愛宕参り」です。

一昔前は火を焚いて麓の集落に知らせ、持ち帰った火を使っての「松上げ」だったようです。松のジンを縛り藤ヅルの紐をつけた「松明」に火が点けられます。竹と藁で作った「モジ」は高さ30メートルの支柱の先に取り付けられ、それをめがけて「松明」を投げ始めます。命中した時は一際大きな歓声で、燃えて徐々に崩れ落ちる「モジ」が暗闇に映え、まるで花火のようです。

「松上げ」は、南川河川敷から峠を越えた京都府の河川敷でも盛んに執り行われ、火の守護神、京都洛西の愛宕神社まで続いています。この街道は別名「松上げの道」とも呼ばれ、最後に行き着くところは奈良の東大寺だそうです。若狭から奈良の東大寺へ「水の道」もあれば「火の道」もあったんだと信仰の深さに驚いています。

( 2002年8月23日 )





 Happy・・・in小浜Part∏

小浜市漁村青壮年部が独身の後継者に出会いの場をと、今年は「豪華海鮮バーベQ」をメインに昨年に引き続き開催。ちなみに昨年の実績は・・・0組でした。

未婚女性をホームページや新聞等で募集したところ、県外から3名を含む10名が参加。会員の未婚男性11名が壮絶なサバイバル合戦を開始しました。「海鮮バーベQ」は会員が調達した活アワビやイカの海の幸で、特に「アワビ食べ放題」には男性の方が感激。地元でもめったに口にすることは出来ません。

海岸での花火の後は夜の街へ「いざ!出陣」。ボーリングではすっかりなごやかな雰囲気が出来上がり、宿泊予約の民宿に帰ってきたのは午前1時だとか・・・

二日目は朝から貸切バスで国宝のお寺と奇岩、洞窟の蘇洞門を遊覧し市内観光。昼食をとって全日程を終了したのですが、個別に夕方まで一緒にいたメンバーもいるとの事で、「メデタシ、メデタシ」??

結果は抜きにしてみんな素晴らしい「海の男」です。底引き網や定置網をやる生粋の漁師もいれば、漁で獲ってきた魚を自分の民宿で包丁を入れる兼業の漁師もいます。写真を掲載するわけにはいきませんが、「我こそは・・・」と思われる方はメールを下さい。条件に合った者をお引き合わせさせて頂きます。

( 2002年8月31日 )


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