内外海半島ローカルニュース



 奇勝「蘇洞門」への山歩き

地域の自然や環境を今一度見直そう、歴史や文化を再認識しようと、内外海壮年会に呼びかけ山歩きを企画しました。エンゼルラインの頂上から断崖絶壁の蘇洞門に降りる壮大な計画です。

前日までは「雨になるかな」とかすかな期待で腰が退けていましたが、当日になっても腰の退けている同志4人と小浜山の会の会長、藤田三郎さんの道案内で通り雨もなんのその、強行催行しました。

エンゼルライン開通時に福井県により散策道が整備されてはいるのですが、ほとんど利用されることなく荒れ果てています。いきなり笹薮の中を平泳ぎで入って行きます。大木に覆われたところは恰好の休憩所となりホッと一息。

尾根づたいに歩いたり、急斜面を横切ったりで一時間も過ぎた頃には波の音が聞こえてきます。最後に200段の階段、帰りに上らなければならないのかと心配しながらたどり着いたのが「大門」「小門」の船着場桟橋です。

山歩きをして海へ出る感動を覚え、へとへとになりながら達成感を味わいましたが、整備をしようかと言う声はとうとう聞こえませんでした。

所要時間は、下り1時間半で上りは2時間です。

( 2000年9月24日 )





 「コチ引き漁」と「里売り」

伝統文化や自然豊かな「ふるさと小浜」のよさを体感してもらおうと、小浜中学校の職場体験が田烏地区で実施され、生徒20人が伝統漁法の「コチ引き漁」に挑戦。思わぬ大漁に歓声をあげていました。

長さ100メートル、幅6〜7メートルの網で円を描くように仕掛け、竹竿で海面をたたいたり、竹竿の先に付けた金具で海底の岩をつつく漁法で、カマスやアオリイカを狙います。
6隻の漁船に分乗し、網を手繰ったり、網の目にかかったカマスを丁寧にはずしたりと初めての漁業体験です。

帰港後、カマスを背割りし竹串を刺して、炭火でじっくりと焼き上げます。香ばしい臭いがあたり一面に漂い、早速口にする生徒もいます。
この炭火で焼いたカマスを険しい峠を越えた「里」で売り歩き、帰りは米を背負って帰ります。各戸それぞれに得意先をもち、特に「わらじ脱ぎ」といって、上がりこんで昼弁当を食べさせてもらった上得意がそれぞれにあったそうです。

犬熊から田烏にかけての漁村集落では盛んに執り行われていた「里売り」ですが、田烏地区では今でも7〜8人の方がこの漁村文化を継承され、上中町内では慶弔時に欠かせないごちそうになっています。

( 2001年9月26日 )





 三十三所観世音、微笑みの石仏群

神様が、蘇洞門の千畳敷に立ち寄られ、しばらく泊まっていかれたことから、村名が「泊」と名付けられ、村の真中の若狭彦姫神社には、海幸、山幸の神話が伝えられる彦火々出見之尊(ヒコホデミノミコト)と豊玉姫の夫婦の神様が祀られています。

その泊区から半島の先端に向かって「大山道」と「小山道」と呼ばれている古道があります。「大山道」は、2000秋季編で既報のエンゼルライン頂上からの山道と途中で交差し、蘇洞門の大門小門の桟橋に降り立つことが出来ます。険しい斜面にころびの老木や、わずかの谷水を利用したわさびの石垣が残り、地区の人の生活の糧となる土地に対する執着心を彷彿とさせます。

松ケ崎という岬を回ったところに小高い山があり、その頂上に立つと断崖絶壁が6キロも続く蘇洞門が一望出来ます。この「小山道」の沿道に三十三体の地蔵さんが点々と祀られていました。大正期に、事業に成功したこの村の出身者が、故郷を思う心で寄進したそうで、石仏にお参りしながら歩くと絶景の場所に辿り着くという発想は先見の明を感じます。

山は荒廃し行き交う人もなくなり、三十数年前にお寺の境内に移されました。微笑みの石仏群は地区の人たちの心の支えとして信仰を集め、毎日お参りする95歳になるおばあさんが「このお地蔵さんのお陰で長生きさせていただいている」と足取りも軽やかです。
( 2001年11月25日 )





 十一面観音誕生秘話

7月から無料開放になったエンゼルライン。穏やかな日は越前岬から丹後半島まで見渡せリアス式海岸の若狭湾を一望できます。頂上から真下に見える小さな集落、西小川は定置網や養殖漁業、民宿を営む典型的な漁村集落で、村の入口には苔むした常夜灯が海の安全を見守っています。

千二百年もの昔、その西小川の浜辺に流木が打ち上げられ夜な夜な怪しい光を放っていました。村人達は恐れを抱き、夜の漁に出るもの誰一人いません。おりからこの地を訪れていた行基が、その流木を目の当たりにして「前夜の夢枕のお告げ」と、いっきに観音像を彫り上げました。西小川の常福寺の御厨子に安置されている十一面観音菩薩立像にまつわる伝説で、海上安全や安産祈願に村人達の信仰をあつめています。

宝暦七年(1757年)漁師の三郎右エ門がいつものように漁に出ると嵐に遭遇し、沖へ沖へと吹き流されました。助かりたい思いをただ一心に観音様に念ずると、不思議な事に白帆を上げた一隻の小舟が出現。北へ北へと導き、ついに能登の国福良の浦に漂着しました。

一方、三郎右エ門の家では、もはや遭難したものと思い、野辺の送りをすませ三七日の法要を営んでいるその日、沖より帆を上げて本人が元気に帰ってきました。家族をはじめ村人は驚きかつ喜び、共にその無事を祝し、それも観音様のおかげと尚一層の信心を深めたということです。

( 2002年10月7日 )


 「こども村」でキャンプ交流

子供交流イベント「魔訶不思議面白塾」が開催され、県内から46人の子供達が参加。基地を作ったり釣りや探検に興じ自然を満喫しながら手造りのキャンプを楽しみました。

阿納に特設された「こども村」はインディアンハウスや見張り台などベースになるものを市内のボランティア組織が事前に準備をし、子供達の自主性や協調性が培えるよう自由な発想で「村づくり」を進めてゆきます。この「村」を拠点に海の自然、森の自然の中に飛び出し夢がどんどん広がってゆきます。

初日はテープカットの後、早速住みよい「村づくり」に取り組み、トーテンポールや建物を色鮮やかにペインティングしたりたき火場を整備。大きな鍋で夕食のカレーライスも調理を手伝っての手造りキャンプです。夜にはキャンプファイヤーや花火を愉しみ消灯時間になってもテントの灯が消えません。

二日目は5〜6人がグループになり、あちこち探検したり海岸に出て釣りを楽しんだりと自然を満喫。石にそれぞれの名前と将来の夢を書いて記念モニュメントに積み重ね、楽しい思い出を心に刻みながら閉村しました。「村」は子供たちの活動を形に残そうと永続的に保存してどんどん進化していきます。

( 2002年10月13日 )


 大仏さんの前で大合唱

奈良東大寺の大仏開眼1250年祭が執り行われ、大仏殿を舞台に創作ミュージカル「二月堂 良弁杉」が奉納されました。小浜からコーラスグループ90名が出演。奈良市民との混声で600名の大合唱が晩秋の春日の森に轟き渡り、素晴らしい感動のドラマに花を添えました。

観音様がやっと授けてくれた男の子を大鷲にさらわれ、神隠しに遭ったような子供を親の強い情愛で捜し求めて六十年。厳しい修行の末、立派な大僧正に出世した良弁との再会シーンは何度見ても涙を誘います。

「若狭の小浜に生を受け・・・」東大寺二月堂の開祖、良弁僧正の出生地をあえて若狭小浜とし、市民同士の文化交流が進められ昨年は小浜公演が実現。「お水送り」「お水取り」の関係で姉妹都市の奈良市との絆を尚一層深めています。

オレンジ色の舞台衣装をまとった600名の大集団ですので移動するだけでも大変です。薄暗い大仏殿の中からライトアップされた特設ステージにたつ時には一瞬心地よい緊張感が走ります。指揮者の手が大きく孤を描き、指先がまるで催眠をかけていくかのように600人を一つに束ねハーモニーをつくりあげていきますが、練習不足で「口パク」状態の私を誰も知りません。

( 2002年10月13日 )


 「富貴ちゃん」満面の笑顔

北朝鮮の拉致問題が急進展し5人の生存確認と帰国が決定。内外海半島ローカルニュースを通り越し世界のトップニュースになっていますが、「富貴ちゃん」の明るい性格そのままのしぐさや笑顔が何よりで、不安を一蹴してくれました。

奇しくも15日は阿納春日神社の例祭で朝から太鼓が村中を練り歩き、24年ぶりに帰国する「富貴ちゃん」を鉦や太鼓でにぎやかに迎えようと歓迎モードも最高潮に達してきました。羽田空港に到着する2時頃には巡行を一時中断。全員がテレビの前に釘付けになって「その時」を見届けました。タラップを降りる「富貴ちゃん」の満面の笑顔が皆に安堵感を感じさせます。

大太鼓は15年前、観音様の開帳時に100年ぶりに復活したもので、太鼓の胴だけが観音堂の片隅に無造作に置かれ、子供たちはそれをくぐっては遊んでいました。わずか20軒の集落ですので兄弟同然です。台車や屋根を若衆が、飾りを婦人会が手造りで作成して見事復活。練習期間を通じてコミュニケーションが図られ、孫の打つ太鼓をおじいちゃん、おばあちゃんが喜びます。村が一つになりました。

来年は17年ぶりの御開帳の年で尚一層にぎやかに繰り出します。「富貴ちゃん」にとっては始めての太鼓になり、すっかり様変わりした故郷の祭りを喜んでいただけるものと思います。家族全員が一日でも早く無事帰国でき、小浜での幸せな家庭が築かれる事を暖かく見守ってください。

( 2002年10月17日 )


 古刹を舞台に音楽祭

「海のシルクロード音楽祭」が若狭小浜を象徴する古刹三ケ寺を会場に開催され、仏像の前や庭園をバックにした舞台で幻想的な響きが聴衆を魅了しました。

日本海側のほぼ中央に位置する若狭小浜は、都に近く天然の良港だったことから大陸からの玄関口として最適の条件を備えていました。大陸と日本を結ぶ海の交通路として交易船が行き来し活気のある港であったといわれ、海のシルクロードの終着駅とも呼ばれています。

昨年に引き続き開催されたもので、初日の25日は羽賀寺本堂でクロマチックアコーディオンと笙(しょう)や篳篥(ひちりき)による演奏で、枯葉や月の砂漠等おなじみの曲やオリジナル曲で聴衆をうっとりさせます。翌26日は明通寺本堂に舞台を変え、アイルランドの打弦楽器ハンマーダルシマーとソプラノサックスやエスタニックフルートの共演で拍手が鳴り止みません。

最終日11月1日は今年からの会場となる萬徳寺で素晴らしい庭園の築山を舞台に演奏してもらう予定でしたが、あいにくの天候になってしまいました。インドの古典音楽を琵琶とバーンスリー、タンブーラのセッションで楽しみました。奏者はインドやネパールに学びインド音楽の普及の為のコンサートを企画もしているそうで、大陸文化の玄関口「若狭小浜」でのコンサートを今後も続けていただけそうです。

( 2002年11月1日 )


 日本に初めて上陸した象

甲ケ崎の村はずれの旧道沿いに50センチ位頭を出した岩があります。年月が経つうちに波が砂や小石を運び、随分と埋もれたようですが「象つなぎの岩」として、龍王大明神の祠とともに地区の人たちにより祀られています。

応永15年(1408年)スマトラ島より国王の親書を携えた南蛮船が古津の港に入港し、将軍足利義持への献上品として日本では珍しい象、クジャク、オームなどが陸揚げされ鯖街道を奈良の都へ運ばれたといわれています。「初めて象が来た港の絵図」では、その象をつないだ岩と使者一行の様子が詳しく描かれています。

波静かな入り江の古津には、船の税金を扱う税所代(さいしょだい)があり、高台(高屋)には船の出入りの監視所を構え、大陸からの玄関口としての港として随分栄えていたようです。

阿納尻区の高屋は確かに内海を見渡す高台に位置し、三軒ともが「泉本家」というのは偶然ともいえぬ何かを感じます。又、古津の地籍には三校を統合した内外海小学校が建設され、すこし小さめのかわいい小象ではございますが「象の(石)像」が児童達に見守られながら愛嬌を振りまいています。

( 2002年11月30日 )


 鯖街道の原点「阿納坂越え」

「こども村」でのキャンプ交流が二年目を迎えた「魔可不思議面白塾」ですが、今年は水汲み場が整理され、スイカを冷やしたり、薪を焚いての調理にも非常に便利になりました。中にはタオルを絞って身体をふく者も出て「来年はドラム缶風呂でも作ろうか」と言う話しも進展しています。

当地は、昭和41年に旧トンネルが開通するまで険しい峠越えをしなければならず「陸の孤島」といわれていました。「てんご」に詰めた柿を担い棒をきしませながら運ぶ農家の人や、その日の朝水揚げされた魚を市場へ運ぶ漁師の婦人達にとっては非常に険しい「阿納坂越え」です。かって鯖がたくさん獲れた頃の阿納は陸の要衝で、湾内は勿論、三方町の常神半島からも鯖を満載の船が寄港し、険しい「阿納坂越え」をして市場へ運んだそうです。京へと続く鯖街道。基点が泉町商店街なら原点は内外海半島です。

懐かしい峠道を子供達に探検してもらおうと、にわか整備が始まりました。大勢の人が踏みしめた坂道はくっきりと残り、雑木を切り払ったり、枯れた倒木を整理すれば「古道」がよみがえってきました。必ず一服した峠の地蔵堂は祠が若干朽ちかけてはいますが、しっかり残っています。中にはいっぱいの落書きがあり、相合傘や「東映フライヤーズ」の文字がくっきりと残り昔を偲ぶ事が出来ます。

樹齢数百年の「タモの巨木」がどっしりと構え、アケビや栗の木もあり、小鳥のさえずりが鳴り止みません。峠を越えた所で広域基幹林道に繋がり、若狭湾の入り江の浦々を眺める事が出来ます。しっかり整備すれば最適のウォーキングコースで是非ともよみがえらせたい「阿納坂古道」です。

( 2003年9月30日 )


 村の鎮守の神様のお祭り日

昭和62年、観音堂の御開扉を機に、明治時代に途絶えた大太鼓が100年ぶりに復活。練習期間を通じて子供と若衆とのコミュニケーションが生まれ、楽しそうに打つ子供達の姿にじいちゃん、ばあちゃんが手をたたいて喜びます。村が一つになって、小さな漁村に活気を呼んでいます。

観音堂の片隅に太鼓の胴だけが残り、子供達はそれをくぐったりして遊んでいました。御開扉を機に是非とも復活したいと、若衆が何日もかかって台座と屋根を手造りで、婦人会も綿入りの飾り物を手伝ってくれて、やっとの思いでの大太鼓の復活です。

不思議とこの日は毎年天候に恵まれ、太鼓が復活してから今日まで、雨で出られなかった年はいまだかってありません。この日もさわやかな秋晴れで幼稚園児と小学生が綱を引き、若衆が太鼓を打ち鳴らしながら家々を回ります。

昨年の10月15日は拉致事件の被害者5人が羽田空港に到着した日で、太鼓を中断してその時を見届けました。「富貴ちゃん」の満面の笑顔に胸をなでおろし感動もしました。今年は地村夫妻揃ってお休みを貰っての里帰りで、自分の幼少の頃にはなかった棒振りや太鼓にカメラを向けて感慨深げです。来年は17年毎にやってくる御開扉の年で、記念すべき節目の年を迎えます。

( 2003年10月15日 )


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